単著専門書『万葉赤人歌の表現方法』&正誤表



『万葉赤人歌の表現方法』 万葉集ひいては和歌文学を代表する歌聖、山部赤人。その歌の表現方法について、七章仕立ての専門書を刊行しました。『万葉赤人歌の表現方法 批判力と発想力で拓く国文学』です。平成22年3月14日、鼎書房刊。税別2,000円、A5判214頁、ISBN978-4-907846-67-1 C1095。

以下に「目次」「英文目次」「あとがき」を載せておきましたので、構成や意図についてはそれも読んでください。「あとがき」には、なぜ「批判力と発想力で拓く国文学」などという大上段に振りかぶった副題を付けたかが書いてあります。

「あとがき」に書いたとおり、批判が多いため、忌み嫌われる事態が想定されます。しかし、赤人歌の真のすばらしさを見えにくくすると思われる先行研究があれば、批判するのは当然と考えます(念のため断っておくと、そうした先行研究を批判しているのであって、赤人歌自体を批判しているわけではありません)。それに、諸説が各々没交渉的に乱立していけば、どうなるでしょう。どれを選んでいいかわからなくなりますし、言いたい放題を許容する土壌ができてしまいます。是々非々を論じるなかで有効・有益な説のみ残っていくのが、学問の理想形のはずです。だからこそ、本書では、先行研究をできるだけ網羅的にとりあげ、その根幹部分を真正面から批判するよう心掛けているのです。

ただ、先行研究批判はいいから本論の田口説を手早く知りたい、と思う人はいるでしょう。そんな人は、各章U節の「先行研究の問題点」をとばし、本論のV節以降へと進んでください。また、煩雑な説明は可能な限り注にして隠してあるため、各章末尾にある注もとばせば、より手早く読むことができます(欲を言えば、全章を読んで、歌聖赤人のすごさをトータルに感じとってください)。

内容的には、発想の斬新さと論としての強度にこだわりましたから、もし広く周知でき、肯定的に引用・紹介されるようなことがもしあれば、あるいはブレイクスルーになり得るかもしれません。たとえば、左上の表紙にある△の図は、第二章に出てきます。これはフラクタル幾何学からヒントを得ており、第四章も幾何学の相似をヒントにしています。ほかにヒントにしたものをあげるなら、第三章は美術の一点透視図法、第七章も美術の空気遠近法。第五章は、英文法の関係代名詞。ずっと後代の古典がヒントとなった章もあり、第一章は源氏物語・枕草子、第六章は伊勢物語・箏曲地歌が該当します。「溺れる者は藁をも掴む」の諺どおり、ヒントにできそうなものを手当たり次第見つけてきただけのことですが、それが的を射ているか否かは世に問いたいところです。上記のような発想力が強度を備えた時、現状に抗し得るアンチテーゼとなるのではないでしょうか。

もちろん、実際に読んでもらわないことには話になりませんから、私は、『伊勢物語相補論』および『伊勢物語入門』の時と同様に、全国主要都市および地元愛知の大学図書館・国公立図書館等に寄贈しました。 最下段に寄贈先リストがあります。ちなみに、最近では、大学図書館でも、条件付きで学外者の利用が可能になってきています。

さらに、その呼び水として、無料公開「山部赤人動画講義」もあります。これは、『万葉赤人歌』の内容を一般向けに平易かつコンパクトに解説したものです。ご参照ください。

購入に関しては、税別2,000円と安価ですが、書店に広く出回るような本ではないので、出版元に直接注文した方が早いでしょう。 E-mailinfo@kanae-shobo.com、TEL
03-3654-1064です。

なお、
初版には訂正すべき箇所があるので、報告しておきます(再版では訂正します)
9頁6行目「自分の生きている間だけでも、」を「、自分の生きている間だけでも」に変更し、後から9行目「さすがに」の前に「手入れの間隔があき気味になり、」挿入
11頁注4の後から2行目「の是々非々を」を、
を是々非々で」に変更
17頁3行目「事」を、「辞」に変更
26頁10行目「サンプル」を、「用例数」に変更
30頁上段後から2行目「jp/new/inishie/7pdf」を、「lg.jp/bunkazai/inishie/inishie2/inishie/7kan.data」に変更
35頁4行目と後から8行目の「今」の前に、「詠者の」挿入
36頁後から5〜4行目「、造園時からの年数をカウントするCが穏当ではあろう」を、Cが妥当だろう(造園時からの年数をカウントする点も妥当)」に変更
37頁2行目「さすがに」の前に「手入れの間隔があき気味になり、」6行目「示せば、」の後に基本に据えたCだと一一〜一二年になり、ほかに、」、7行目「一三年」の後に「になる」、11行目「や」の後に「(「年深み」に関し「主亡きあと年月を多く経て、の意」と注している)挿入
39頁上段後から18行目「わかりや」の後に「す」、後から17行目「非連続性」の後に「あるいは〈漠然〉性」、下段後から17行目「なお」の前に「実は「いにしへ/むかし」の関係を非連続/連続と見ずに連続/非連続と見る説もあるのだが、この問題に関しては、別稿にて「イニシヘ断絶/ムカシ連続説」の妥当性を説く予定である。」挿入
40頁上段3行目「今」の前に、「詠者の」挿入
45頁冒頭「藤原」の後に、「家」挿入
52頁末尾〜53頁冒頭の「何より、まず、」「自体」削除
53頁6行目「ほど」を、「印象」に変更
58頁上段2行目「れる」の後に、「(視野には沖の唐荷も入っていよう)」挿入
60頁下段後から4行目「考る。」を、「考える。「淡路」「印南都麻」「辛荷」に含意性があるのなら、ここも同様と見たい。」に変更
61頁注25の2行目「を」を、「で」に変更
64頁後から4〜3行目「徹底していたり。これらによ」を、「向家郷意識のなさが徹底していたりし」に変更
65頁冒頭「あくまでつらいというだけだし、」削除
72頁後から9行目「を」を、「で」に変更
81頁後から8行目「東下」の前に「通って」を挿入し、
後から7行目「から」を「に「出」」、後から4行目「山頂」を「クライマックスである山頂の冠「雪」」に変更
82頁9行目と88頁5行目の「出惜」を、「出し惜」に変更
83頁後から6行目「・山頂」を削除し、後から5行目「わけだ」の後に「(山頂は垂直方向に突出)」挿入
89頁6行目に二個所ある「積もる」を、「積もった」に変更
93頁下段冒頭「家」を、「部」に変更
99頁「B」の見出しから3行後「・四景目の山頂」を削除し、4行後「形だ」の後に「(四景目の山頂は垂直方向に突出)」挿入、6行後「高さや距離を感得する際に足元から対象へと目測する」を「クライマックスに向け〈絞り込み〉を行なっていくベクトル」に変更
101頁4行目「シルッ」の「ッ」削除
112頁上段4行目「否めない。」の後に、「また、梶川信行「《見えるもの》と《聴こえるもの》−吉野讃歌の論−」(『万葉史の論 山部赤人』平9・10翰林書房)も、長−反歌の「非常に緊密な構成意識」を読みとり、「吉野」→「み吉野の象山」→「象山のまの木末」といった「ズーム・アップ」は指摘するが、反歌「一首目は空間に関わり、二首目は時間に関わっている」とする点は次節以降の私見と異なっており、ゆえに、やはり、もの足りないものとなってしまっている。」挿入
113頁後から10行目「なる」に付けた「(12)」を後から9行目「いう」に付けなおし、114頁上段の注12の4行目「とある。」まで削除
115頁上段後から2行目「再」削除
120頁上段2〜3行目「聴覚と記憶をもとに再」を、「音と昼の記憶をもとに」に変更
162頁下段後から3行目「後者で、」の「、」削除
163頁後から5行目「山池歌」の後に、「論」挿入
170頁後から4行目と173頁後から5行目の「・D」削除
171頁6行目「ありそうな」を、「あったらしい」に変更
174頁8行目「過去伝聞あるいは」を削除し、下段後から6行目「とある」を「とあり、髪に言及する点で西宮『全注』とも重なるが、『万葉集』中で女の「黒髪」が「靡」く用例として見出し得るのは、 八七・二五三二・二五六四・三○四四番歌」、下段後から4行目「顕」を「と言える用」に変更
175頁上段2行目「思われる。」の後に「なお、梅原猛「赤人の世界」(『講座 古代学』昭50・1中央公論社))は、四三○番の人麻呂歌を赤人が「ふんでいる」と考え、「ずけっとうた」うか「ちらっと出」すかのちがいはあっても、同様に「髪がなび」く「美しさ」を詠んでいるととる。しかし、「ちらっと出」すかに見せて〈肩透かし〉するところまでは、言えていない。」を挿入し、下段3〜4行目「長@・Bの場合とちがって、いずれかに確定できるような強い理由は見出せない」を「前々節で述べたとおり、得られた伝説が長Bまでのみとすれば、「玉藻」を「刈」ったという伝説が新たに加わることになる過去伝聞はそぐわない。過去推量が妥当と思われる」に変更
178頁下段5行目「ありそうな」を「あったらしい」に変更し、同「「入江」に」以下削除
184頁後から16行目「是々非々を」を、是々非々で」に変更
188頁後から5行目「サンプル」を、「用例」に変更
194頁5行目「鍾」を、「錘」に変更
200頁上段13行目「る」の後に、「(進退窮まるさまととれる「立ちて居て」の用例としては、『万葉集』二○九二・二三八八・二八八七・三三四四番歌がある)」挿入
201頁後から6行目「思われる。」の後に「私なりに補足して言えば」を挿入し、
後から9行目「だけ」を「ばかり」、後から4行目「私なりに補足して」を「そして、さらにまとめて」に変更
202頁後から9行目「だけ」を「ばかり」に変更し、冒頭「長歌」の前に「対応する」、後から5行目「対応する」の後に「(もっとも、詠者の情に関しては、長C全体も「止めば継がるる恋」と対応するから、全く前半と対応しないわけではないものの、とにかく後半との対応が多い)」挿入
失礼しました。

目次 あとがき
第一章 山部赤人の藤原家之山池歌の表現方法
    −『万葉集』三七八番歌に見る〈絞り込み〉とその〈同
    調〉−

第二章 山部赤人の辛荷島歌の表現方法
    −『万葉集』九四二−九四五番歌に見る〈三連転換〉〈
    中央特立〉とその〈相似反復〉−

第三章 山部赤人の富士讃歌の表現方法
    −『万葉集』三一七−三一八番歌に見る〈出し惜しみ〉
    と〈画竜点睛〉の補完関係−

第四章 山部赤人の吉野讃歌第一歌群の表現方法
    −『万葉集』九二三一九二五番歌に見る三重の〈絞り込
    み〉−

第五章 山部赤人の春歌四首の表現方法
    −『万葉集』一四二四−一四二七番歌に見る語の配置・
    型の微調整・積層構造−

第六章 山部赤人の真間娘子歌の表現方法
    −『万葉集』四三一−四三三番歌に見る聞く歌としての
    エンターテイメント性−

第七章 山部赤人の春日野歌の表現方法
    −『万葉集』三七二−三七三番歌に見る〈絞り込み=焦
    点化〉〈同調〉と〈重ね合わせ〉〈要約〉−

あとがき
 『万葉集』赤人歌の表現方法論シリーズの結びは、初出一覧
も含めて、最後の第七章で書いてしまいました。重なる部分も
ありますが、ここでは、補足的かつ平易に私の思いを記してお
きます。
 私は、日常生活においては、好戦的なタカ派でも、清濁併せ
呑むことを認めない潔癖症でもありません。にもかかわらず、
本書では、各章U節の「先行研究の問題点」を中心として、有
名どころ・ベテラン・中堅・若手のみなさんを、徹底的に批判
しています。なぜそんなことになったのでしょう。二重人格で、
本当はタカ派だったり潔癖症だったりするわけではありません。
 理由は三つあります。一つ目は、先行研究を踏まえるのが学
問の基本だから。二つ目は、先行研究の強度不足を明らかにし
た上で強度十分な新見を述べれば、優位性を際立たせられるか
ら。三つ目は、このまま放置しておいたらどうなってしまうの
だろう、と不安になったから。私のなかでは、三つ目が最大の
理由になっています。
 たとえば、確証を得られないのにつづけられる類想的な議論、
本質から遠ざかるような余計な推測、定説・通説を強引に裏返
すかのごとき新説、真相・真価を知悉する手前で述べられる評、
などなど。後代の文献に対する油断や、先行研究に対する目配
り不足なんかも、気になりました。なかには卓説や有効・有益
な論もあったとは言え、批判すべき論の方が目につきました。
不安に駆られるのも当然です。
 また、先行研究に対する批判力不足にも、しばしば疑問をお
ぼえました。なぜこんな強度不足の論を安易に紹介・首肯する
のだろう、とか、なぜこんな完璧とも言い難い論を賞讃するの
だろう、とか、なぜこんな危うい論に依拠してさらに危うい論
を重ねるのだろう、とか。また、脆弱な論が出てきては、ろく
に検討・批判されないまま数が増えていく、といった状況も、
怖いと感じました。批判すべき論が多い背景には、そんな批判
力不足が関係しているのでしょう。一層不安になるというもの
です。
 だから、私は、忌み嫌われる事態を想定しながらも、徹底批
判せずにはいられなかったのです。何らかの反応を引き出し、
現状を直視するきっかけをつくれれば、と考えます。
 反応という点に関連して、付言しましょう。批判力は、独創
的な新見を首肯する際にも必要となります。ギルド化が過度に
進むと、瑣末的・類想的になり、セクショナリズムも発生して、
ブレイクスルーをブレイクスルーとして認められない体制がで
きてしまいがちですが、限られた対象を長年研究しつづなけれ
ばならない分野でそうなったら、もう大変です。煮詰まりそう
な分野にこそ、新見を論理的かつ具体的に検討・批判できる体
制が不可欠なはずです。本書各章のV節以降には、発想力をフ
ル稼働してつくった新見があります。論としての強度にもこだ
わりました。存分に叩き、問題がなければ首肯し、問題があれ
ば否定してください。もちろん、否定の場合は、論文上でない
と意味がありませんし、論理的・具体的でない印象批評や根幹
部分に絡んでこない指弾も同様です。
 なお、私は、無反応の状況になることも想定し、自説の周知
活動を行なうつもりでいます。ホームページ「愛知教育大学田
口研究室」を時々覗いてみてください(http://www.kokugo.ai
chi-edu.ac.jp/taguchi/taguchi.html)。
 また、プライオリティーの問題に関しても、一言。専門書/
入門書あるいは記述/口頭を問わず、引用のルールを守らない、
本書のプライオリティーを無視する行為があれば、抗議するこ
ともあり得ます。注意してください。
 殊勝なことを記すのがあとがきの一般的スタイルなのでしょ
うが、『伊勢物語』・箏曲地歌関係の単著四冊につづく本書で、
かなり型破りなものができてしまいました。しかし、本書の副
題「批判力と発想力で拓く国文学」の真意を説明するには、こ
う書くよりほかありませんでした。
 最後に、本書の刊行を快諾してくださった鼎書房の加曽利達
孝さんに、厚く御礼申しあげます。『伊勢物語入門』の時と同
じく、今回も加曽利さんの義侠心に助けられました。また、英
文目次を担当してくれた愛知教育大学同僚の英文学者久野陽一
さんにも、感謝します。

  平成21年11月、妻と子に深謝しつつ。      田口尚幸
英文目次
Yamabe Akahito's Expressive Poetics in Man'yoshu, The Ten
Thousand Leaves: Criticism and Conception in the Classic
Japanese Literature−Table of Contents

Chapter 1  Synchronizing Concentration: A Poem about the
Garden of the Late Prime Minister Fujiwara Fuhito(No.378)

Chapter 2  Triple Conversion, Independent Centralization, 
and Its Analogous Repetition: Poems on Passing the Isles
of Karani(Nos.942-45)

Chapter 3  Complementary Relation of Holding Back and
Adding the Finishing Touches: Poems on Viewing Mount Fuji
(Nos.317-18)

Chapter 4  Triple Concentration: Poems on Visiting the 
Palace at Yoshino(Nos.923-25)

Chapter 5  Word Order, Fine Adjustment of the Form, and
Lamination: Four Poems about Spring(Nos.1424-27)

Chapter 6  Listening Entertainment: Poems on Passing the
Grave of the Maiden of Mama in Kazushika(Nos.431-33)

Chapter 7  Concentration-Synchronization and Superposition
-Summary: Poems on Climbing to the Fields of Kasuga(Nos.
372-73)

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