伊勢物語対話講義T

三段階の成立過程モデルは信頼できるか

★下記講義の参考書としては、『伊勢物語相補論』が適しています概略はこちら全原文は、「日本語テキストイニシアチブ」でご覧
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よろしくお願いします。

伊勢物語のことを調べると、しばしばある説に遭遇します。この対話講義Tでは、その三段階成立論という説をとりあげ、限界を明らかにします

さて、はじめて伊勢を読んだ人は、おそらく、こんな感想を抱くのではないでしょうか。明確なストーリーは見えてこない。各章段は不統一。おまけに説明不足で、何がなんだかわからない。実際、大学生の時はじめて伊勢を通読した私も、そんな感想を抱きました。

ここで、ちょっと聞いてみましょう。伊勢を通読して、どんな感想をもちましたか。

一応一代記的な体裁をとってるみたいなんですが、状況が進展していくように思えないところがたくさんありました。いきなり設定が変わってしまうとか。それに、章段にすごくバラツキがありました。設定だけじゃなく、長さや文体なんかもちがうんですね。文体は、やっぱり、説明不足だと感じました。ほのめかすくらいならちゃんとハッキリ言ってよ、と思うところもありましたし。

なるほど、かつての私と同じですね。私が出したなぞり書き本
『読めて書ける伊勢物語』の巻頭では、ブツブツ・バラバラ・スカスカ、と平易にまとめています。まず、連続性に欠け、ブツブツ切れてるように感じられる。また、各章段の成立事情は一様でないから、不統一でバラバラ。そして、説明不足の文体ゆえに、スカスカ。たとえば、同じ平安時代の物語である竹取物語や源氏物語なんかと比べると、もう大ちがい。まさに、難物といった表現がピッタリです。

ところで、たとえ話をしますけど、アンコウって魚、どうやって切るか知ってますか。

あれはまな板の上ではさばけない魚だ、って聞いたことがあります。確か、吊るして切るんですよね。

そうです。吊るし切りという特別な方法でないと切れないらしいですね。なぜこんなたとえ話をしたかと言うと、伊勢もアンコウも難物という点で似てる、と思うからです。特異なものは特別な方法で切らないといけない。伊勢の場合は、本当に切れるかは別として、三段階成立論という切り方が有名です。あと、私が専門書
『伊勢物語相補論』で提唱した、相補論という切り方もあります。相補論は、その翌年出した入門書『伊勢物語入門』では、平易につなぎ読みと呼んでいます。ただし、このTでは、三段階成立論だけをとりあげることにして、私の相補論あるいきつなぎ読みに関しては、対話講義UVXZに譲ります

その三段階成立論って、一体、どんな説で、どんなところが魅力なんでしょう。

由緒正しい古い章段やそれに準ずる章段がまずあって、それに由緒正しくない新しい章段が増補されている、と説くのが三段階成立論です。具体的には、古今集が典拠にした伊勢→業平集が典拠にした伊勢→我々が目にしている最終段階の伊勢、といった三段階の成立過程モデルを考えます確かに、伊勢の全125章段を三つとか二つとかのグループに分けて読めば、そのぶん、バラバラな不統一感を感じることも減るでしょう。加えて、グループごとに読んだ上で、古い章段から新しい章段にかけて質的変化が見られる、なんて説かれたら、どうですか。

気が利いてますね。有名になったというのも、わかる気がします。

三段階成立論の提唱者は、注釈書として
『鑑賞日本古典文学』を書いており、巻頭には概略がまとめられています。また、『新潮日本古典集成』は三段階成立論に対し批判的な注釈書ですが、巻末には三段階成立論の概略がスッキリまとめられています。こちらを参照するのもいいでしょう。

じゃあ、有名になった三段階成立論は、支持されたんでしょうか。注釈書は、ほかにもあります。特に『新日本古典文学大系』『新編日本古典文学全集』は、必見の代表的注釈書ですよね。書店で見つけやすい注釈書ということなら、『角川文庫』『講談社学術文庫』が思い浮かびます。それらは、三段階の成立過程モデルに則しているんですか。『集成』は批判的だそうですが。

三段階の成立過程モデルに則しているかと言えば、みな則してはいません。『角川文庫』に至っては、巻末で三段階成立論を批判していますし、『学術文庫』も、巻末でチョロっと紹介する程度です。おそらく、危うい説ととられたのでしょう。もちろん、三段階成立論を通説として紹介したり引用したりする人もいるにはいるんですが、そういう人に対しては、『集成』『角川文庫』の巻末や私の『相補論』第一部第一章を読んで、三段階成立論の限界をしっかり理解てください、と言いたいですね。特に私のは、重要ポイントを網羅的におさえています。これに関しては、つづく中と下で、いろいろ紹介します。

もう一点、確認しておきたいことがあります。章段が増補されるというのが三段階成立論の考え方だとしたら、『集成』は、章段が増補されるとは考えないんですか。

『集成』に成立論的なところが皆無かと言えば、そんなことはありません。三段階にキッチリ分けられるか批判しているものの、たとえば、「後人【こうじん】の追加の匂い」「類似の話を増補した」「末の世の迷惑な増補」「後半は更に書き足された」「追加」「敷衍【ふえん】」などと述べてもいます。つまり、古いか/新しいかといった成立論的時間軸を導入しているところもあるんですよ。

相補論あるいはつなぎ読みでは、どう考えるのでしょう。

私も、各章段の成立事情は一様でなく、増補された章段もあっただろう、とイメージすることはあります。でなかったら、不統一でバラバラ、なんて言いません。ただ、やはり、成立過程をキッチリ決定できるとは思いませんし、さらに、私の場合は、たとえ増補をイメージすることはあっても、そんなことはどうでもいいと考えて、先に進みます。成立論的時間軸に左右されることなく、どんな章段どうしでも同一平面上で深く広くつないで読むんです。それが、相補論とかつなぎ読みとか呼ぶ私の読み方です。成立事情が一様でない各章段を、結局は全てフラットに並べてしまうわけです。成立論的要素が濃いか/薄いかで言えば、三段階成立論はもうコッテコテで、『集成』はそれよりはアッサリ。そして、私の読み方になるとゼロ。こんなふうにまとめられるでしょう。

ちなみに、成立論的要素ゼロの私の読み方は、危うさとも無縁ですし、U・V・X・Zで述べるように、面白くもある。そんなふうに私は思ってるんですね。アンコウのたとえ話に戻って言えば、三段階成立論なんて切り方じゃなく、私の提唱する切り方こそが、特異な素材に真に適しているのではないか、と言いたいのです。

ありがとうございました。中につづきます。
よろしくお願いします。

先程上で述べたとおり、成立論的時間軸に左右されないで伊勢物語を読む、というのが、私の相補論あるいはつなぎ読みのコンセプトです。

でも、ブツブツ・バラバラ・スカスカな章段どうしをつなぐのは大変そうですし、もし三段階成立論に納得できるなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。三段階成立論がどれほど危ういかキッチリ教えてもらわないと、あきらめがつきません。面白そうな説だし、古今集・業平集といった外部資料を使うところも骨太な感じで、魅力を感じます。

なるほど、三段階成立論にビビッときたんですね。わかりました。
『新潮日本古典集成』『角川文庫』の批判も交えつつ、説明していきましょう。まずは、第一段階成立という第一次章段をどうやって決定したのか話し、そして、それがどう危ういのかも話します。

三段階成立論では、原則として、古今集業平歌から成る章段を第一次章段と見なします古今集というのは、いろんな人の秀歌を集めた集で、伊勢の主人公のモデル=在原業平の歌も採られているのですが、それを手掛かりにしたんですね。ちなみに、三段階成立論の提唱者が注釈した
『鑑賞日本古典文学』には、巻頭に概略がまとめられており、それによれば、第一次章段は12章段、第二次章段は34章段あることになります

さて、この古今集を用いた決定法、おかしくないでしょうか。だって、古今集というのは、古今集にふさわしいいろんな歌人の秀歌を集めるんですよ。いくら古今集が業平を評価しているからと言っても、当時の伊勢の歌をことごとく採らなきゃならない義務はないはずです。古今集が採らなかった伊勢の歌も、きっとあることでしょう。つまり、古今集業平歌を数えれば当時の伊勢の規模を決められる、という論法は、当時の伊勢の歌をことごとく採る、という前提が磐石でなけれならないのに、その前提は磐石ではないわけです。『集成』の巻末に批判がありますし、私も、専門書『伊勢物語相補論』第一部第一章で批判しています


批判すべき点は、ほかにもまだまだあります。やはり『相補論』第一部第一章に書いたことですが、歌集の詞書
【ことばがき】から当時の伊勢の本文を決定できるのか、といった疑問もあるんですよ。詞書とは歌集に採られた歌の前にある説明のことで、私は、それを以て当時の伊勢の本分を決定できるとは思わないのです。

三段階成立論は、古い章段から新しい章段にかけての質的変化を説くところに魅力があります。ただし、古いとする章段については、古い頃のままの本文が正確にわからないといけないはずです。でも、果たして、古い頃のままの本文って、正確にわかるものなんでしょうか。いいですか。我々が目にしている伊勢は、最終段階の新しい伊勢です。そのなかから第一次章段を12章段選んだとしても、その本文は、オリジナルとは異なる、手垢のつきまくった本文かもしれません。

第一次章段の場合は、古今集の詞書が第一次章段の本文とソックリであれば、古今集の頃既にその詞書ソックリの第一次章段の本文があった、と言えますが、実際には、ソックリじゃないケースもあります。

ソックリじゃなかったら、歌集の詞書から当時の伊勢の本文を決定するなんて、できませんね。

そのとおり。もし、第一次章段すなわち第一段階の古い伊勢を細かな語句にこだわって読みたい、なんて望んだら、もう立往生しちゃいますよ。だって、その語句が当時の伊勢にあったか不明なケースもあるんだから。

なお、古今集にせよ、後述する業平集にせよ、詞書を見るには、『集成』の巻末にある「伊勢物語和歌綜覧」が便利です。調べたい人は、参照するといいでしょう。

では、第二次章段の場合は、どうでしょうか。まずは、歌集の詞書から当時の伊勢の本文を決定できるのか、という問題からお願いします。

わかりました。
第二次章段は業平集を用いて決定されていますが、やっぱり、業平集の詞書と第二次章段の本文がソックリじゃないケースもあります。第二段階の古い伊勢を細かな語句にこだわって読みたい、という望みも、第一次章段の場合と同様に、叶うものではないでしょう。

ちなみに、
第二段階の古い伊勢とは、第一段階に成立した第一次章段と第二段階に増補された第二次章段から成ります。前述のとおり、第一次章段は12章段、第二次章段は34章段とされますから、計46章段の規模になります。全125章段から成る最終段階の伊勢と比べると、ずっと小規模ですね。

ところで、そもそも、業平集って、一体、どんな集なんでしょうか。

予め言っておきますと、業平は、古今集より前の人です。業平が自分で編纂した集であれば、古今集より早い成立ということになりますが、ここで話題にしている業平集は、業平より後の人が業平作とおぼしき歌を集めたものです。成立は古今集より遅い、と言われています。ところが、具体的にいつ頃の成立かとなると、まだ定説はありません。三段階成立論は古今集と業平集をモノサシにして成立過程モデルをつくっているのに、一方のモノサシとなるべき業平集の成立時期が定まっていないというのは、マイナスポイントでしょう。

ほかにも、成立過程モデルにマイナスポイントはありますか。第二段階の古い伊勢は小規模みたいですが、どうしてそんな小規模な伊勢を決定できたんでしょう

はじめに、伊勢から歌を採って業平集をつくる、という状況を想像してみてください。ここに125章段に近い規模の伊勢があって、そこから歌をことごとく採って業平集をつくるとしましょう。すると、その業平集はずっと大規模なものになってしまいます。けれども、実際の業平集は、そんなに大規模ではありません。そこで、三段階成立論の提唱者は、業平集の頃の伊勢が小規模だったために、そこからことごとく歌を採ったはずの業平集も相応の規模になった、と考えたのです。言い換えれば、業平集の規模から当時の伊勢の規模を決定できる、と考えたわけですよ。この業平集を用いた決定法、さっきの古今集を用いた決定法と同じく、どっか引っ掛かるでしょ。

うーん、当時の伊勢の歌をことごとく採る、という前提が磐石でないと、ダメでしょうね。

そうなんです。業平集というのは、業平作とおぼしき歌を集めたものです。だとしたら、業平集をつくる際、業平作か/否かという選別意識がはたらいた可能性は大です。仮に業平集の頃の伊勢が125章段に近い規模だったとしても、そこから歌を選別して採れば、業平集の規模がより小さくなっても不思議ではありません。業平作か/否かという選別意識が考えられる以上、業平集を用いる論法には従えないわけです。

ありがとうございました。下につづきます。
よろしくお願いします。

三段階成立論では、業平集の頃の伊勢物語が小規模だったために、そこからことごとく歌を採ったはずの業平集も相応の規模になった、と考えます。しかし、業平作か/否かという選別意識が考えられるとなれば、業平集の規模から当時の伊勢の規模を決定できなくなります。先程の中では、ここまで説明しました。

もちろん、伊勢の主人公の歌なら業平の歌だろう、と見なす意識は、当時確かにありました。でも、その一方で、本当に業平の歌だろうか、と選別する意識もまたあったようです。私は、専門書
『伊勢物語相補論』第一部第二章で、業平作か/否かという選別意識が新古今集などに見られるんじゃないか、と説きました。また、業平集が典拠にしたとされる、狩使本【かりのつかいぼん】という特異な伊勢に注目し、狩使本から業平集がどんな選別意識で歌を採ったのか具体的に考察しました。まず、新古今集に選別意識があった可能性を示し、その上で、当の業平集の選別意識について詳述する。ここまでやっておけば三段階成立論に対する抑止力になり得る、と私は考えます。

ちなみに、選別意識に言及してる研究者は、ほかにもいるんでしょうか。

『新編日本古典文学全集』の著者も、専門書『伊勢物語生成論』第三章第二節の方で、選別意識に関する一案を示しています。また、その説は、『角川文庫』の巻末で支持されてもいます。

とにかく、業平集に関する問題は多岐にわたりますので、『相補論』第一部第二章をご参照ください。そして、選別意識の問題も含めた三段階成立論への総合的批判は、『相補論』第一部第一章にまとめてあります

あのー、業平集の問題が多岐にわたると言われても、ピンとこないんですが。

たとえば、業平集と一口に言っても、三段階成立論では、三種類の業平集を駆使します。仮に、A・B・Cとしておきましょう。このうちのB・Cは、編集方針が大きく異なるにもかかわらず、なぜか収録する歌がよく共通します。三段階成立論では、この共通性を手掛かりとして、次のように考えます。すなわち、Bが典拠にした伊勢も、Cが典拠にした伊勢も、ともに小規模だったために、BもCも同程度の規模になった、と考えるのです。

また、Bに先立つAという業平集もあります。AはBより小規模ですが、三段階成立論は、その理由を、典拠にした伊勢の規模に求めます。つまり、Aが典拠にした伊勢は、Bが典拠にした伊勢よりさらに未発達の、より小規模なものだった、と考えるわけです。

へえー、すごく緻密な感じがします。

はじめて聞いた人は、緻密と感じるかもしれません。しかし、前述した特異な伊勢=狩使本と業平集の関係を考えると、やっぱり、首をひねりたくなります。そもそも、三種類の業平集を駆使して三段階成立論が登場してきた頃、狩使本はさほど重視されていませんでした。その後にちょっとしたブームがあって、大まかな姿や業平集との関係が明らかになってきたのです。となれば、今度は、業平集が典拠にした伊勢は狩使本である、という前提のもと、業平集と伊勢の関係を考察し直す必要があります。そして、そんなふうに狩使本を基盤に据えると、業平作か/否かという選別意識が見えてくるわけです。複雑な話になるんで、詳しくは省略しますけど。いかがでしょう。これでもまだ三段階成立論を緻密と感じますか。

うーん、いろいろ問題があるもんですね。さて、三段階成立論に対する批判は、以上で出尽くしたんでしょうか。第三次章段に関しては、まだ説明を受けてませんが。

最終の第三段階に増補されたという、第三次章段ですね。了解です。はじめに、第三次章段がどうやって決定されたのか、説明しましょう。我々が目にしている最終段階の伊勢は、全125章段です。そこから第一次章段と第二次章段の数を引けば、第三次章段の数が出ます。中で述べたとおり、三段階成立論の提唱者が注釈した
『鑑賞日本古典文学』には、巻頭に第一次章段と第二次章段の数が出ています。それによると、125章段から46章段を引くことになるので、第三次章段の数は79章段となるようです。

ただし、この数も、第二段階の伊勢の決定法が確実視できなければ、当然、確実視できません。第二段階の伊勢の決定法は確実視できませんでしたから、それと連動する第三段階の伊勢の決定法もおのずと確実視できない、と言えるはずです。

では、三段階成立論に対して言い残したことはありませんか。

信頼できないから第一・二・三次章段とか第一・二・三段階の伊勢とか言うのはもうやめよう、という私見は十分理解してもらえたかと思いますが、あとちょっと言わせてください。

成立過程モデルをつくる際の論法をいくら批判されようと、
三段階成立論の提唱者は、自らの仮説を撤回しません。傍証を提示しては、仮説すなわち三段階の成立過程モデルを補強しようとしています傍証とは、決定的な証拠ではないけれど、補強にはなり得る証拠です。もしそれらの傍証が真の傍証たり得るとしたら、どうでしょう。仮説が危険で信頼できないものであろうと、考慮しないわけにはいきません。もっとも、傍証はあくまで傍証にすぎないので、いくら提示されたところで仮説を信頼する気にはならないものの、一考の余地はあります。

じゃあ、それなりに強力な傍証でもあるんでしょうか。

『相補論』第一部第一章および第四章で出た結論は、強力な傍証とは認められない、というものでした。第一章では代表的な傍証をとりあげて検討・批判し、紙数を要する傍証は第四章で改めて論じ直しましたが、例示の数や分布は十分なレベルにあるか、あるいは、その例に見られる現象は三段階成立論に則して説明できるものか、といった点を考えると、答はノーと出ます。確かに、第何次章段にしか見られない現象といったものも、あるにはあります。しかし、それが三段階成立論を強力にバックアップし得るか、という問題になると、頷くことはできないのです。

傍証以外で言い残したことは、ありますか。

やはり、伊勢をどう読むべきかという問題に言及したいんですけど、そちらは対話講義Uに譲ります。

ありがとうございました。

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