伊勢物語対話講義V

17-20段のつなぎ読みは一通りか

★原文・訳に関しては、注釈書なり関連サイトなりを各自でさがし、適宜ご参照ください。全原文は、「日本語テキストイニシアチブ」でご
  覧になれます(こちら)。
私の本では、『伊勢物語入門』に17・18
 ・20段の原文・訳があります(概略はこちら。全国主要都市およ
  び地元愛知の図書館にも寄贈しました(リストはこちら)。
 学生のセリフは、本の初出は、重要箇所は(以下同)
よろしくお願いします。

対話講義Uで述べたとおり、かつて、私は、専門書
『伊勢物語相補論』第二部第二章第一〜七節において、伊勢全段を配列順につなぎ通しました。章段どうしを同一平面上で深く広くつなぎ通した本格的な読みは、これが最初と言っていいでしょう。

ただ、私は、それで全仕事が終わったとは考えず、今は、伊勢全段にわたる配列順第二つなぎ読み・第三つなぎ読みを試作しています。つなぎ読みでは、伊勢を組み立てるのを楽しむ組立式ブロックととらえますから、今度は、組み立て方が一通りでないという自在性を証明したいわけです。苦労しつつも、一通りつなぎ通した。ならば、次は、つなぎ読みが二通り、いやいや、三通りあることを示そう。自在性を証明するには、実際に具体例を示すしかありません。このVが、つなぎ読みの具体例を示すU・XZとちがうのは、つなぎ読みを一通りではなく二通り示すところにあります。Uにおいて、つなぎ読みが一通りでないことの一端はVで示す、と予告したとおりです。

ちょっと気になるんですけど、その伊勢全段にわたる配列順第二つなぎ読み・第三つなぎ読みって、本当に実現可能なんですか。

もう悪戦苦闘の連続です。挫折する可能性だって、ないとは言いきれません。しかし、なんとしてでもやり遂げ、将来、可変論と命名して発表するつもりです

Vでは、一体、何段から何段をつなぎ読むんでしょう。

上と中の途中までは、理論的説明を行ないます。その後下までで、17-20段を具体的につなぎ読みます。第一つなぎ読みでは16段、第二つなぎ読みでは21段にも触れます。

それでは、つなぎ読みの自在性について、まずは理論的説明からお願いします。

了解です。かつて、私は、入門書『伊勢物語入門』第一部U章、つなぎ読みの自在性についてチョロッと触れたことがあります。その際、たとえ話として、二通りに見える有名な絵を用いました。両義的な「ルビンの盃【さかずき】と顔」は、中心の白い部分に注目すると盃に見え、両端の黒い部分に注目すると向き合う二人の横顔に見えます。一体、盃なのか/向き合う顔なのか、どっちだと思いますか。

盃でもあるし、向き合う顔でもある、としか答えようがないですね。

実際、多数決を採っても、半々ってところです。では、「ルビンの盃と顔」の左右にビンとグラスの絵を置くと、どうでしょうか。やはり『入門』第一部U章に載せた絵で、「ルビンの盃と顔withビンとグラス」と命名しておきます。

私は、左右の絵のせいで、盃に見えます。ビンやグラスとつながるのは、同じ容器の盃ですから。しかし、それでも向き合う顔に見える、って言う人はいるんじゃないでしょうか。

そのとおりです。多数決を採ると盃と見る人が大多数になるんですが、向き合う顔と見る人も若干ながらいます。これに関し、私は、「ルビンの盃と顔withビンとグラス」であれば盃と見るのがベター、と考えます。そうすれば、三つともつながって、全てを活かせますからね。

ただし、ここで注意してほしいのは、ベターというだけで、向き合う顔である一面は完全には消えない、という点です。向き合う顔を活かすような絵を置けば、今度は、向き合う顔と見るのがベターになります。『入門』第一部U章には載せてませんが、今回新たにつくりました。名づけて、「ルビンの盃と顔with向き合う胴体」。「ルビンの盃と顔」の下に、向き合う胴体の絵を置きました。今度は、盃か/向き合う顔かどっちに見えますか。

下の絵のせいで、今度は、向き合う顔に見えます。

だと思います。つまり、何とつなぐかによってどちらか一方に絞り込める、というわけです。

ここで、話を伊勢に戻します。いいですか。Aともαとも読める章段があるとします。ちなみに、Aは英語、αはギリシア語です。もしBやCとつなぎ読むとしたら、Aか/αかどっちで読むのがベターでしょう。また、βやγ【ガンマ】とつなぎ読むなら、どっちがベターでしょう。

BやCとつなぎ読むのであれば同じ英語系のA、βやγとなら同じギリシア語系のαだと思います。

よくできました。

ところで、B・CはB・C、β・γはβ・γとしか読めない章段なんでしょうか。

いいところを突いてきましたね。当然、Bともβとも読める章段、Cともγとも読める章段なんてのはあります。さっきは、便宜的に、ビン・グラスあるいは向き合う胴体にしか見えない絵を置きましたが、ほかの何かにも見える絵がきたっていいんです。伊勢で言えば、全段にわたって配列順第二つなぎ読み・第三つなぎ読みをするなんて困難至極な話ですけど、Aorα、Borβ、Corγといった章段を随所に見出せれば、なんとか別ルートを見出せるものなのです。

つなぎ読みの自在性についてチョロッと触れた『入門』第一部U章では、20段を使いましたので、以下、20段を例にして説明します。

20段は、次のような話です。奈良を訪れた主人公が、現地の女に求愛し、都に帰る道すがら、カエデの枝とともに歌を詠み贈ります。主人公は、春赤く出る若葉を、秋でもないのに紅葉したと見なし、アナタへの燃える想いに染まって突然変異し、春なのに紅葉したんですよ、と詠みます。 自分は宮仕えのため都に帰るけれど、こんなにアナタを想っているのです、という心です。一方、奈良の女が返した歌は、主人公が都に到着した頃に届きます。一般的に考えれば、 タイミングが遅すぎます。返歌の内容は、そんなふうに色変わりするのはアナタ様のところは秋だからですわ(心変わりして私に飽きたんでしょ)、というもの。こちらもなかなかシャレています。しかし、『学術文庫』が説くとおり、タイミングは遅く、季節の秋と飽きることを結びつける発想も、常套的です。主人公の歌のあげ足をとって難じている、とも読めますから、省略されている主人公の反応は、失望したと想像することも可能です。

マイナス評価なんですね。言われてみれば、そんな感じもします。

実は、今の読みは、
『講談社学術文庫』のマイナス評価説です。ところが、一方で、女の返歌が遅い点に関し、全く逆のプラス評価説もあります。二通りに読める点で、まさに「ルビンの盃と顔」みたいでしょ。

つづく中では、20段を「ルビンの盃と顔」に見立てた上で、「ルビンの盃と顔withビンとグラス」に相当する第一つなぎ読みや、「ルビンの盃と顔with向き合う胴体」に相当する第二つなぎ読みを具体的に示します。

ありがとうございました。
よろしくお願いします。

先程の上では、伊勢物語20段をとりあげ、『講談社学術文庫』のマイナス評価説を紹介しました。そして、全く逆の読みもある、と予告しました。それが、 『新潮日本古典集成』プラス評価説です。『集成』は、女の返歌のアナタ様のところは云々という内容に合わせるために、アナタ様のところすなわち都に到着する頃をねらった、と読み、「都の外に住む女が、男と対等以上にわたり合った珍しい段」とまで評します。 つまり、計算された気の利いた返歌としてプラス評価するのです。そうなると、プラス評価説もマイナス評価説もある20段は、まさに両義的な「ルビンの盃【さかずき】と顔」みたいになるわけです。

なお、予め断っておきますと、『集成』の20段プラス評価説を活かすつなぎ読みが第一つなぎ読みで、『学術文庫』の20段マイナス評価説を活かすつなぎ読みが第二つなぎ読みです。私の本では、第一つなぎ読みの全貌を『伊勢物語相補論』第二部第二章で示し、16-20段は第一節でとりあげています。『伊勢物語入門』第二部T・U章でも16-19段の第一つなぎ読みを示していますが、第一部U章では17-21段の第二つなぎ読みにチョロッと触れています。ちなみに、『相補論』は専門書で『入門』は入門書ですから、とっつきやすいのは『入門』でしょう。抜粋で原文・訳も載ってますし。

では、第一つなぎ読みでちょっと説明してみましょう。『集成』は、巻末で、1・20・23段を類例としてまとめてもいます1段については対話講義U、23段についてはWご参照ください。1・23段では、ともに奈良の女がプラス評価されています。すると、やはり奈良の女が登場する20段についても、プラス評価したくなってくるから不思議です。次の絵は、上で「ルビンの盃と顔withビンとグラス」と命名した絵ですが、1・20・23段を類例としてまとめる読みって、まさにこの絵みたいじゃないですか。第一つなぎ読みを「ルビンの盃と顔withビンとグラス」にたとえるなら、1段がビン、23段がグラスに相当し、容器つながりで20段が盃として見えるのです。

確かにそうですね。しかし、Uによれば、つなぎ読みのコンセプトは、どんな章段どうしでも同一平面上で深く広くつなぎ読む、というものでした。深く広くつなぐのであれば、1段や23段とつなぐだけではもの足りない気がしますし、1段はかなり離れてもいます。

その点はご安心ください。つなぎ読みのスタンスは、配列順に隣接章段ともつなぐし、離れた章段とも適宜つなぐ、というものです。後でちゃんと、配列順に隣接章段ともつなぎ読み、第一つなぎ読みの充実化をはかります。


了解です。ところで、「ルビンの盃と顔with向き合う胴体」って絵も、ありましたよね。『学術文庫』の20段マイナス評価説だって、向き合う胴体に相当する章段があれば、20段が向き合う顔として見えてくるんじゃないでしょうか。

第二つなぎ読みのことですね。今はまだ理論的説明の段階ですから、いきなり第二つなぎ読みに入るのではなく、上を振り返りつつ話していきます。上において、私は、ある章段がAなのか/αなのかは、B・Cとつなぐか/β・γ【ガンマ】とつなぐかによって絞り込める、と述べました。これを、1・20・23段を類例としてまとめる第一つなぎ読みに当てはめるなら、Bである1段とCである23段のつながりゆえに、20段はαでなくAとして読める、と言えるでしょう。ここでのAとは、『集成』のプラス評価説をさします。

それでは、ここで、質問です。βとγのつながりゆえに、20段はAでなくαとして読める、ということも言えるでしょうか。ここでの
αとは、『学術文庫』のマイナス評価説をさします。


ABC系の第一つなぎ読みは成り立つけど、αβγ系の第二つなぎ読みは成り立つか、ってことですよね。成り立つんですか。

私は、17-19段をβ、21段をγとすれば、20段はAでなくαとして読める、と考えます。17-19段や21段は、みな、相手の女に難があるとも読めますし、あげ足とりのような歌の贈答になってもいます。そして、αに当たる『学術文庫』の20段マイナス評価説は女が常套的で難じる歌を遅く返し、主人公が失望する、という読みでした。ですから、20段マイナス評価説を採用すれば、ずっとギスギスした章段がつづくことになって、隣接章段とよく馴染みます。これはこれで、つなぎ読みとして成り立つでしょう。なお、この第二つなぎ読みの場合は、第一つなぎ読みのように、20段と1・23段を類例としてまとめるなんてことはしません。

なるほど。第二つなぎ読みを「ルビンの盃と顔with向き合う胴体」にたとえるなら、17-19段と21段が向き合う胴体に相当するんですね。
じゃあ、さっき先送りした問題をお願いします。
『集成』の20段プラス評価説を活かす、「ルビンの盃と顔withビンとグラス」にたとえられる第一つなぎ読み。その充実化をお願いします。配列順に隣接章段とつなぐと、一体、どんな読みになるんですか。

予め断っておきますと、第一つなぎ読みの『相補論』第二部第二章では、1-20段までを第一節とし、21-37段は第二節に入ります。20段と21段の間に区切りを入れますので、以下、20段と21段のつながりは省略し、代わりに16段を含めて、16・17・18・19段が20段とどうつながるかを読んでいきます。理論的説明を終えて、いよいよ、具体的につなぎ読みを示していくわけです。

16段については、Uで話しましたね。主人公は、友達の紀有常【きのありつね】と再会し、彼の、没落しながら内面を高く保つ姿を見て、美徳あるいは生きる指標を頭でハッキリ理解します。実は、この話にはつづきがあります。主人公が援助の手をさし伸べると、有常はオーバーに感謝感激するのです。プラス評価すべき章段ではあるものの、ややベタベタして、コテコテな感じがします。

そこで口直し的に17段が登場する、と私は読みます。17段は、主人公がある家を訪問し、家の主と歌を贈答する話です。主は誰とも明記されませんから、友達の有常ととっても、半ば飽きてしまった女ととっても、どちらでもかまいませんが、第一つなぎ読みでは、16段と直結するよう有常ととっておきましょう。また、そうとっておけば、17段は、友達どうし軽妙かつクールに歌を贈答していると読めます。そして、そう読めば、17段のサラサラ感が、ややベタベタした16段のコテコテ感を口直しすることにもなるわけです。

要するに、16段は基本的にプラス評価すべき章段なんだけれども、微調整すべきところもあって、それを17段が担っている、というのが第一つなぎ読みなのです。ちなみに、さっきの、B・Cとつなぐか/β・γとつなぐかといった流れで言えば、16-17段はDとでも言うべきでしょう。

で、次は、18-19段です。舞台は、都と考えられます。内容は、『集成』が指摘するとおり、「なま心」すなわちエセミヤビを批判するものです。ある時、都風を気どるエセミヤビな女が、主人公を試そうと歌を詠み掛けてきます。しかし、主人公は、その歌の心に気づかないふりをして、サラリとかわす返歌をします。女のエセミヤビを嫌った、と読むんですね。18段は、美徳とも呼べるミヤビが示される16段と比べ、全くのベツモノと言えそうですし、友達どうし軽妙かつクールに歌を贈答する17段とも、似て非なるもののようです。

次の19段の女は、軽佻浮薄な点で、真のミヤビをもち、信頼できる友達として登場する16段の有常と好対照をなします。内容は、かつてちょっとだけ付き合った女を主人公が冷たくあしらうものです。女が恨み言を言ってきても、主人公は女を責め返します。ほかに男がいると聞いていたために、冷たくあしらったのです

つまり、第一つなぎ読みにおいては、プラス評価すべき16段とその微調整役の17段がまずあり、16-17段を際立たせる対照例として、マイナス評価の18-19段があるわけです。

16-17段が
Dでしたから、18-19段はEとでも言いたいところですね。これで、A=20段をとり囲むように、B=1段・C=23段、そして、D=16-17段・E=18-19段が出そろいました。

そうですね。次の20段については既にプラス評価説/マイナス評価説のところで説明済みですが、つづく下で、改めて、16-17・18-19段と20段が第一つなぎ読みでどうつながるか具体的に示します。また、マイナス評価説を活かす第二つなぎ読みに関しても、改めて、より具体的に説明する予定です。


ありがとうございました。
よろしくお願いします。

先程の中は、伊勢物語16-17段と18-19段のつながりを具体的に読んだところで終わりました。この下では、16-17・18-19段と20段をつなぎ読むところからはじめます。20段については、『新潮日本古典集成』のプラス評価説を採用します。第一つなぎ読みか/第二つなぎ読みかで言えば、第一の方ですね。

第一つなぎ読みでは、プラス評価の16段とその微調整役の17段があり、16-17段を際立たせる対照例として、マイナス評価の18-19段がある、って話でしたから、そこにプラス評価の20段をつないで、16-17段プラス評価→18-19段マイナス評価→20段プラス評価と言いたいわけてですね。

そういうことです。

ちなみに、
私の本で16-20段をとりあげているのは『伊勢物語相補論』第二部第二章第一節、16-19段をとりあげているのは『伊勢物語入門』第二部T・U章で、ともに第一つなぎ読みに当たります
『相補論』が専門書なのに対し、『入門』は、抜粋で原文・訳も載っている、とっつきやすい入門書です。一方、第二つなぎ読みに関しては、『入門』第一部二章で、17-21段についてチョロッと触れています。ご参照ください。

さて、16-17・18-19段と20段をつなぎ読むに際し、まずは、16・20段を類例と見なせるか考えてみましょう。

中において、『集成』は、1・20・23段を類例としてまとめていました。また、1-16段をとりあげた対話講義Uでは、1-2・16段を類例と見なしました。1-2・16段について言えば、没落の地である奈良や「西の京」にいながら内面を高く保つ1-2段の女たちと、没落して貧しく暮らしながら内面を高く保つ16段の友達=紀有常【きのありつね】は、本質的に一致していました。そして、20段の奈良の女も、『集成』のプラス評価説を採用する限り、類例と読めるはずです。没落の地=奈良にいながら、都人【びと】の主人公「と対等以上にわたり合」えるセンス=ミヤビをもってるわけですからね。さらに23段の大和=奈良の女も、Wを読んでもらえれば、没落しながら内面を高く保っていることがわかります。つまり、1-2・16・20・23段は一括りにでき、当然、そのなかの16・20段も一括りにできる、ってことなんですよ。


では、16・20段を類例と見なしたところで、Uの1-16段を再度思い出してください。あれも第一つなぎ読みなんですが、最後は、16段で原体験の1-2段に原点回帰する、と締め括りました。それを踏まえて言えば、第一つなぎ読みでは、16段で1-2段への原点回帰、20段で1-2段への原点再回帰が起きる、と言えます。Uで述べた原点回帰とは、1-2段の原体験で女たちから教わった美徳なり生きる指標なりを、16段で有常に会って、今度は頭でハッキリ理解する、という自己確認でした。このVでは、それを引継ぎます。16・20段が類例で、16段が原点回帰なら、20段も原点再回帰・自己再確認と読めそうです。

果たして、20段における主人公は、1段以来奈良を訪れ、没落の地にいながら都人と同等以上のミヤビをもつ女と歌を贈答します。16段で帰京して以来都にいる主人公は、17段まではよかったものの、18-19段でエセミヤビな女や軽佻浮薄な女に接します。都会特有のケガレた空気に触れ、16段における原点回帰の感動は薄れつつある、と読んでみましょう。そんな時、20段がくるのです。主人公は、都を離れて原体験の地へと赴き、1段の姉妹同様ミヤビな女に会います。1段の感動が甦って原点再回帰、と読めるんじゃないでしょうか。ついでに、1段の類例である2段の感動も甦るはずです。もちろん、自らのアイデンティティーを再確認する自己再確認にもなるでしょう。


16段と20段の間に18-19段という対照例がはさまるからこそ、20段で1-2段への原点再回帰や自己再確認が起きる、と言えそうですね。しかし、第一つなぎ読みがそんなに充実すると、中で簡単にまとめられただけの第二つなぎ読みが気になります。20段について『講談社学術文庫』のマイナス評価説を活かす、第二つなぎ読み。こちらの充実化も、お願いします。

そうくると思ってました。第二つなぎ読みもより具体的に説明しますから、安心してください。

でも、その前に、中で第二つなぎ読みに関して述べたことを、確認しておきましょう。私は、17-19段をβ、21段をγ【ガンマ】と見なせば、20段がAでなくαと見なせる、と述べました。20段の隣接章段は、みな、相手の女に難があるとも読めますし、あげ足とりのような歌の贈答になってもいます。そんな状況下では、20段プラス評価説より、マイナス評価説の方がベターでしょう。女が常套的で難じる歌を遅く返し、主人公が失望する、と読むマイナス評価説なら、17段から21段までずっとギスギスした章段がつづくことになって、うまい具合に第二つなぎ読みが成り立つわけです。


それでは、中で示した第一つなぎ読みと比較しつつ、以下、第二つなぎ読みをより具体的に示していきましょう。

17段は、主人公がある家を訪問し、家の主と歌を贈答する話でした。主が何者かに関しては、友達の紀有常【きのありつね】でもよかったし、半ば飽きてしまった女でもよかったですよね。第一つなぎ読みでは有常ととりましたが、第二つなぎ読みでは女ととっておきます。また、友達どうし軽妙かつクールに歌を贈答している、というのが第一つなぎ読みの17段なら、半ば飽きられた女が主人公の無沙汰を難じ、主人公もやり返す、というのが第二つなぎ読みの17段です。ギスギスしてて、女も主人公もイヤな感じがします。

そして、そう読んでおいて、次の18・19段
とつなぎ読みます。第一つなぎ読みでは、16-17段ブラス評価/18-19段マイナス評価といった対照的関係になりましたけど、第二つなぎ読みでは、17-19段がマイナス評価となって、類例になるんですよ。

ちょっといいですか。つなぎ方が変化するのはわかるんですが、18・19段の読み方は、第一つなぎ読みと第二つなぎ読みで同じままなんでしょうか。上では、可変論なんて命名しましたよね。でしたら、17段だけでなく、18・19段に関しても、読み方の変化がほしいところです。

つなぎ方だけでなく、読み方についても、可能な限り変えていきます。

まずは、18段から。第二つなぎ読みの18段では、女だけでなく主人公もイヤなヤツで、底意地悪く揶揄【やゆ】する歌をやり返している、となります。私は『入門』第二部U章で女の歌に対する主人公の返歌を訳したことがあるんですが、その第一つなぎ読みでは、本当にプレーンに、ウラの意味のない単なる受け流しとして訳しました。ところが、『集成』を見ると、主人公がウラで女の好色な下心を揶揄してる、なんて読んでいます。これはこれで十分可能な読みですから、今度の第二つなぎ読みはイヤらしい方に振って、主人公をウラで揶揄してるイヤなヤツと読んでみましょう。18段のマイナス評価は、相手の女だけでなく、主人公にも及ぶことになるわけです。また、受け流すのではなく、やり返すと読めば、ギスギスしてきます。

次の19段になると、18段の時ほどには、ちがった読みを示せません。ただ、ギスギスした基本線は同じでも、主人公もイヤなヤツかもなあ、と思わせることはできます。「同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男はあるものかとも思ひたらず」という箇所に注目しましょう。主人公は、かつてちょっとだけ付き合い、今は「同じ所」に仕えている女に対し、黙殺を決め込み、冷たくあしらいます。それは、女のイヤな面すなわち軽佻浮薄を知っていたからです。でも、「あるものかとも思ひたらず」という黙殺は、冷血すぎるようにも読めます。『学術文庫』や『新日本古典文学大系』なんかは主人公の対応を潔癖さゆえと読みますが、もう一歩踏み込んで、主人公をイヤなヤツと読むことも可能でしょう。第二つなぎ読みの19段では、主人公が潔癖すぎて冷血になるのです。

それなら、つなぎ方だけでなく、読み方も変化しますね。可変論と命名していいかもしれません。

そもそも、17段から21段までずっとギスギスした章段がつづくと読むのであれば、相手の女だけでなく、主人公もイヤなヤツになった方がよりギスギスします。主人公もイヤなヤツになる章段とは、やり返す17段、揶揄する18段、潔癖すぎる19段、そして、後述する21段。第二つなぎ読みでは、そうした章段がそろってギスギス感を出し、章段どうしのつながりを深く広いものとしているのです。

なるほど。充実度が第一つなぎ読みに追いついてきましたね。じゃあ、まだとりあげてない21段は、第二つなぎ読みではどう位置づけるんですか。

私は、『相補論』第二部第二章第二節において、21段をとりあげ、男女ともに相手の出方まかせの優柔不断なひ弱さがある、と指摘しました。その読みは第一つなぎ読みなんですけど、『入門』第一部U章の第二つなぎ読みでも、21段に「優柔不断」は読みとっています補足して言えば、ともに相手の出方まかせの優柔不断なひ弱さがあるため、イヤなヤツどうしとなり、ギスギスするわけです。21段に関する第二つなぎ読みと第一つなぎ読みの相違点は、17-20段に類例としてつなぐか否か程度で、基本線は同じなんですが、とにかく、21段がマイナス評価となれば、さっきの17-19段と一括りにすることができます。マイナス評価の類例として、21段を17-19段の仲間に加えられるのです。なお、21段の舞台も17-19段と同じく都と考えていいでしょう。

さあ、これで、20段の隣接章段が出そろいました。あとはもう、女が常套的で難じる歌を遅く返し、主人公が失望する、というマイナス評価の20段につなぐだけです。17段から21段までのうち、20段のみ都を舞台としない奈良の女との話で、20段における主人公のみイヤらしさを読みませんが、
ギスギスしてるととる点は変わりません。第二つなぎ読みの20段は、都から離れてみたものの、女の対応に満足できないは、難じてくるはで、結局ギスギス、と読むんですよ。

どうですか。17段から21段までずっとギスギスした章段がつづく、っていう第二つなぎ読み。これはこれで成り立つもんでしょ。

そうですね。

もし伊勢全段にわたってこれくらいできれば、二つのつなぎ読みが両立し、つなぎ読みが一通りでないことを示せるのではないか、と私は考えます

ありがとうございました。

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