第3回では、初冠の段として有名な1段の「なまめいたる」という単語の意味について、「若々しい」とも「上品な」ともとれることを述べましたね。
ぼくの読みは、章段どうしのつながりがより深く広くなる後者の方でした。
今度は、単語レベルではなく、もうちょっと長い文のレベルでも、同様のやり方で読みを示しましょう。 4段には、 お姫様=藤原高子(後の二条后)に対し「本意にはあらでこころざし深かりける」昔男が、お姫様のもとに「行き訪ひける」、とあります。 わかりづらい箇所です。そのまま直訳すれば、不本意ながら深く愛したことになります。なんかワケありのようですね。 諸説あるところですが、仇敵意識のある藤原氏のお姫様ゆえ不本意なんだけれども深く愛してしまった、って説なんかがまあ無難ではあるでしょう。ちなみに、歴史上の二条后を題材とした杉本苑子『二条の后』集英社文庫は、「藤原勢力への反感」ゆえに「花園荒し」を行なった、としていて、仇敵意識という点はやはり考えてるようです。 でも、ぼくの「本意にはあらでこころざし深かりける」の読みは、ちがいます。前々回の第4回の、 女たちのタイプ三分類を思い出してください。あの三分類によると、本命は、1〜2段の女たちみたいな同朋タイプでした。 昔男は、元服したての原体験で、理想の女性像を刷り込まれた。それは、「ボロは着てても心はミヤビ」な同朋タイプだった。だから、4段で、理想像とちがうお姫様に対し、なんか違和感をおぼえたんじゃないでしょうか。 理想像とちがう相手なので不本意、けれど、試行錯誤する駆け出しゆえ深く愛してしまった。こんな読みも、またアリなんです。 三分類への深化と広がりをねらえばね。そう読むことで、他章段との関係がどれだけ深まり、どれだけ広がるか。これがぼくの立場です。だから、多くの研究者が彼女を本命のヒロインと見ていようが、全然気にならないんですよ(第4回参照)。 もちろん、上記以外の読みも、理屈さえ通れば、アリでしょう。いろんな説がありますよ。たとえば、俵万智『恋する伊勢物語』ちくま文庫は、頭では身分ちがいでダメなのがわかっていたから「本意にはあらで」、としています。 これも、アリ。面白いことに、俵『恋する』は、嫌っている藤原氏の娘なんかに惚れちゃったから「本意にはあらで」、という読みも併せて載せています。これも、アリですね。つまり、様々に読めるわけなんですよ。 作品論とテクスト論、ってご存じですか。作品論とは、作者の唯一無二の意図を知ろう、という読み方。テクスト論とは、読者各々がどう読めるか、という読み方。 伊勢は、テクスト論のためにあるようなもんだと思います。様々に読めるんだから。そんでもって、成立事情が複雑だから、作者(原作者やら編作者やらいろいろ)の姿も見えづらい。 作者への気兼ねもなくなるってもんです。みなさんも、みなさんなりに伊勢を読んでみてください。ただし、明らかなまちがいってのもありますからね。やりたい放題の無法地帯にはならないように。 ★ダイジェスト版はこちら。 ★伊勢の全原文は、「日本語テキストイニシアチブ」でご覧になれます(こちら)。 ★記事の無断転用は禁じます。 |
目次 | |||
はじめに | |||
第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 |
第5回 | 第6回 | 第7回 | 第8回 |
第9回 | 第10回 | 第11回 | 第12回 |
第13回 | 第14回 | 第15回 | 最終回 |
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