伊勢物語で遊ぼう第9回

カンピョウ巻きがいよいよ登場


第2回では、マイナー章段を、寿司職人の手間と工夫が試されるカンピョウ巻きにたとえ、 それをどう調理するかが研究者の意地の見せどころと述べました。 これまでとりあげてきた章段のなかにマイナー章段がなかったわけではないんですが、 二条后章段群や東下り章段群というメジャーなブロック内のカチッとした構成のなかに組み込まれてしまうと、誰でも何かしら言えそうな章段になってしまいます。だから、そこで新見を言うのは、結構難しかったりするわけなんです。前々回の 第7回で、ぼく、東下り章段群は苦手って言ってた でしょ。今回やっとマイナー章段らしいマイナー章段が登場し、内心ホッとしてるんですよ。今回とりあげる のは、17・18・19段です。

17段では、昔男がある家を訪問し、家の主と歌を贈答します。主は誰とも明記されませんから、16段からひきつづいて友達の紀有常ととってもいいですし、全く別人ととってもかまいませんが、せっかく隣接してるんだし、17段は16段とつなぎ読みたくなるような内容なんで、有常ととっておきましょう

つなぎ読みたくなる内容、って点を説明します。17段は、
主が皮肉を交えつつ「来そうにないアナタを待ってました」と歌を詠み掛けると、昔男も「桜なんてすぐ散るじゃない」と歌で切り返す話。 主の歌は、帰京・再会の16段の後日談として読むにはなんともピッタリでしょ。つなぎ読みたくなるってもんです。
第4回で述べたとおり、ぼくは、そうつなぎ読むことで他章段との関係がどれだけ深まりかつ広がるかを考えますからね。


つなぎ読むメリットは、まだあります。16段における有常の感謝はオーバーでベタベタ気味でしたが、17段における主と昔男の歌の贈答は軽妙かつクールと読めます。そんな17段が16段の直後にくれば、口直しされ、カウンターバランスがとれます。うまい具合にね。こんなふうに16段とつなぎ読めば、17段の存在意義も大きくなってきます。


18段は、都に住んでいると思われる女のエセミヤビを批判する話。16〜17段の有常が真のミヤビの具現者なら、このキザなだけの女はニセモノ。16〜17段のただし書きと読めばいいんじゃないかな。 「ただし、こういうニセモノもいますから、区別しましょう」ってね。

19段は、誠実さに欠ける女の軽佻浮薄を批判する話。こんな女は、真のミヤビをもち、信頼できる友達として登場する16段の有常とはベツモノ。ここも、16段のただし書きとしときましょう。

マイナーな17・18・19段も、16段あるいは16〜17段とつなぐことで、輝きが出てきます。カンピョウ巻きのように、手間と工夫で調理したい章段たちですよ。伊勢物語においては、こうやってつなぎ読んでいく作業・相補論的に考えていく作業が面白いんですねぇ。

ダイジェスト版こちら
★伊勢の全原文は、「日本語テキストイニシアチブ」でご覧になれます(こちら)。
★記事の無断転用は禁じます。
目次
はじめに
第1回 第2回 第3回 第4回
第5回 第6回 第7回 第8回
第9回 第10回 第11回 第12回
第13回 第14回 第15回 最終回
「ダイジェスト版」「伊勢物語対話講義」
単著専門書『伊勢物語相補論』入門書『伊勢物語入門』なぞり書き本『読めて書ける伊勢物語』
田口研トップに戻る