伊勢物語で遊ぼう第8回

原点回帰の円環性も見えてくる


第4回では、「対照例の3〜6・7〜15段で試行錯誤し、16段で1〜2段に原点回帰する、という円環性が出てきます」と予告しましたね。 今回とりあげるのは、その16段です。 ぼくは、以下、3〜6・7〜15段を アイデンティティー確認に至る前の試行錯誤として位置づけた上で、 16段で1〜2段に原点回帰する円環性を読んでみようと思います。

3〜6段でお姫様=藤原高子(後の二条后)を奪えなかったことも、7〜15段の東下りで田舎女たちに辟易したことも、いい体験。試行錯誤したからこそやがて見えてくるものがあって、アイデンティティー確認に至る下地もできる、ってわけ。1〜2段の原体験で接した「ボロは着てても心はミヤビ」 な女たちは理想像として心の奥底に刷り込まれていて、3〜6・7〜15段の試行錯誤中は伏流水のごとく伏流してる、とも言えます。

そして、16段になると、没落してるんだけれどミヤビのプライドは保ちつづけている、1〜2段の女たちと相似するキャラクターが登場します。昔男が再会する友達=紀有常です。彼は、貧しくてもミヤビのプライドは保ちつづけています。1〜2段とちがうのは、舞台がただ単に都である点(都とは明記されてない)。これは、東下りから昔男を呼び戻すために 田舎の対極=都に 舞台設定しなければならなかったから、と考えられます。没落の地に住むという設定が帰京という大枠のせいで使えないとなれば、 田舎/都のコードは別のコードに変換する必要があります。そこで出てきたのが貧/富のコードだったんでしょうねぇ。このコード変換さえ理解すれば、1〜2段と16段の相似はわかるでしょ(ちなみに、第4回では、1〜2段の女たちも、16段の有常も、同じ同朋タイプとしています)。

さらに、1〜2段/3〜6・7〜15段/16段というマクロな見方をすれば、原点回帰の円環性も見えてきます。1〜2段に始発し、3〜6・7〜15段を経て16段に至ると、1〜2段に原点回帰している。 言い換えれば、1〜2段が第一の冒頭なら、16段は第二の冒頭・真の冒頭なんですねぇ。自分が何者か頭でハッキリ理解した昔男の物語が、16段からはじまっていくわけです。

また、前回の第7回では、内面/外面論をしぶとく引っ張ってきたと述べましたが、 2段/6・15段の各章段群締め括りの総締め括りとしても、16段は機能しています。 だって、「ボロは着てても心はミヤビ」ってフレーズ、ぼくは16段を読んでて思いついたくらいなんです。 16段は、もろ、内面のこと言ってます。内面/外面論は、さらにここまで引っ張れるんですよ。

なお、ついでに、ずっと読んでくれてる人に、ぼくの今の気持ちを述べておきます。 ぼくのつなぎ読み=相補論を認めてほしい、っていう気持ちはもちろんあります。でも、それ以外はない、なんて思っちゃいないんです。 むしろ、みなさんがそれぞれ伊勢物語というテクストに挑戦し、自分なりのつなぎ方で読みを組み立てようともがき、ぼくがやったような具合に楽しんでほしい、と思います。 第1回で述べ たように、伊勢は、完成形が一つではない組立式ブロックのようなものですから。

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目次
はじめに
第1回 第2回 第3回 第4回
第5回 第6回 第7回 第8回
第9回 第10回 第11回 第12回
第13回 第14回 第15回 最終回
「ダイジェスト版」「伊勢物語対話講義」
単著専門書『伊勢物語相補論』入門書『伊勢物語入門』なぞり書き本『読めて書ける伊勢物語』
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